Runner in the High

技術のことをかくこころみ

プログラミング・インポテンツ

紛れもない事実として、学生の頃よりも明らかにプライベートの時間でプログラミングをするのが億劫になった。 後輩にこのことを話すと「それってインポみたいですよね」と言われたので、これをプログラミング・インポテンツと名づける。

いまの生活に関して

朝9~11時くらいに出社して、働いて夜8~10時くらいに帰ってくる。
先週千葉に引っ越したので、より朝の時間が早くなり夜も遅くなった。

つまり、平日は仕事をして返ってきて寝るだけ。

プログラミングが嫌いになったのか?

いや、そんなことはない。

いまでも業務でコードを書いている時間というのは幸せだし、コードを書けるという能力によって組織に貢献できていると自分でも思っている。もちろん、それ以外にもちょっと英語ができるなどのはなしもあるが、それでもコードを書くというスキルが自分のアイデンティティの一部であることは間違いない。

じゃあなぜか?

おそらく、理由は以下の2つ

  • 会社で充分プログラミングしているのでもうお腹いっぱい
  • 設計が気になってサクサクとコードをかけない

会社でプログラミングをしているのでお腹いっぱい

会社では主にGolang, Scala, Elmのコードを書いているが、バグフィックスや新規機能開発である程度毎日コードを書いているので、そこそこ自分の中でのプログラミング欲のようなものは満たされている。僕は自分の中のプログラミング欲というものの上限値みたいなものを信じているので、それが満たされるとそれ以上プログラミングがしたいという気持ちが湧かなくなってくると思っている。これは食欲と同じで、一旦食事をしてお腹いっぱいになれば、それ以上何かを食べたいという気持ちにはならない、というやつだと思っている。

ところが、学生時代にプログラミングをしていたときは、朝10時に出社して夜返ってきてもまだプログラミングをしてやろうという気持ちがあった。いま思うと本当にプログラミングが好きだったんだろうなと思う反面、じゃあいまはなぜ...と思うことさえある。これが老いというものなのか。

設計が気になってサクサクとコードをかけない

自分の中ではこれが本当の理由なのではないかと思っている。弊社は非常にアプリケーションの設計/アーキテクチャを大事にする風土だ。サマー・インターンのときから徹底して柔軟なアプリケーションを生み出すための設計をやっていこうという気概に満ちていた。もちろん、自分はそんな風土に対する憧れにも似た感情を持って新卒入社をしたわけだ。ところが、設計というのは事実泥臭い作業で、コードを書く云々以前のはなしになる。よく言われるのが、開発業務は設計とコーディングで8:2くらいが丁度いい、というやつだが、これはあながち間違っていないと思う。

自分はまだ設計に関してはペーペーで、まだまだ大局的なアーキテクチャ設計から、実際のコード表現としてのデザインパターンまで満足のいく知識・経験があるとは言い難い。それだけに、きっちり設計に関して頭を使って考えていく必要がある。もちろん、これには非常に頭を使う。

一方、プライベートで書くコードなどというものは適当に流してコードを書くタイプのものであるはずだが、少しコードを書いているとすぐに「ここ、あとで拡張するときにちょっと不便そうだな...」とか「IOレイヤの責務がドメインに漏れ出してるな...どうしようかな」とか考えてはじめてしまうのだ。もちろん、設計に関して頭を使うことは悪いことではないし、そういうトレーニングをするのは間違いなく素晴らしいことだと自分でも思っている。が、プライベートでもまた頭を使うようなことをしたいかと言われると、正直微妙である。

逆に言えば、学生の頃は設計などというものを一ミリも考えていなかった。とりあえず動いて見た目がいい感じになるものが完成すれば満足だったし、レイヤの責務だとかオープン・クローズドが守られているかは全く持ってどうでもよかった。それはそれで、知らなかったという幸せだったのかもしれない。

これからに関して

そもそも、プライベートでプログラミングをする気が起きないのだからどうしようもないと思う。

世の中的には、仕事だけでプログラミングをしているやつはモグリだ、みたいな風潮がTwitterの観測上では強いようだが、実際仕事を始めてみるとそこそこ腹一杯になってくる。

秋ごろには自分でElmアプリを作ったり、Railsをちょこちょこ書いたりしていたが、ぶっちゃけなんか疲れてきてしまった。とりあえずここしばらくは不動産投資の本でも読んだり、英語のリスニングの勉強でもしてゆっくり過ごそうと思う。深刻に考えすぎるほうが良くないからね。