Runner in the High

技術のことをかくこころみ

労役をする側には前提として作業効率を改善するメリットがない

いくら効率を上げて作業量を減らしたとしても、労働者からすれば、減った分を補う余剰の仕事が増えていくだけ。うれしくなるのは経営者、マネージャ層だけであって、労役側は効率が上がることによるメリットをなにも享受しない。

できるだけ働きたくない

労働をする側が望むのは、ラクな仕事をダラダラやってできるだけ多く遊びの時間を作り、できるだけ早く帰ること。突き詰めれば、どれだけ仕事をせずにお金をもらうか。この点から見ると、効率をあげることで自分の仕事が増えるほうがリスクであり、積極的に効率が低い方式を採用するほうがメリットになる。効率化は労働をする側にとってはデメリットだ。

開発者で言えば、デプロイが遅ければそれを言い訳にコーヒーを飲みに行ったりネットサーフィンをしたりできる(この場合、並列で仕事をするなどの積極的労働はしない)が、これが早くなってしまうと、この「遊び」の時間が少なくなってしまう。デプロイが遅い、という事実が普通*1になれば「今日はデプロイだけの日にしましょう! 時間がかかるので^^;」と説得できる。その日はデプロイだけやって、一日おわり。あとは飲みにでも行って、さっさと帰って家で寝るとしよう。

最も大きな敵は、見返りもなにも求めずに積極的に改善活動を行う人間だ。このような「やる気のある人間」がいることで、相対的に怠けている人間が炙りだされることになる。組織全体がサボタージュに向かっている集団では、このような人間は積極的に排除されていく。

労働者と経営者的観点

このような見えないサボタージュを続けられてしまうと会社は非常に困る。会社からすれば、できるだけ人件費あたりの生産効率を良くしたい。そのためには、誰かが効率改善をする必要がある。だが、現実的な改善活動を経営者やマネージャだけが行うのは難しい。改善というのは前線で手を動かして働く人間だからこそ分かる不満から生まれうるものであるし、労働者以外の人間から思いつく改善というのは微妙なものも多い。

結局、一般的に労働者がよく言われる「経営者的観点を持て」というのはこれを指すことが多い。ただ言われたことをするだけではなく、労働者が自ら全体効率を改善することで企業の利益アップにつながっていくことを経営者は望んでいる。だが、多くの場合一ミリも理解されずに終わる。

できるだけ働かずにお金をもらいたい労働者と、できるだけ人件費をゼロに近づけたい経営者。このパレート効率的関係を改善することで会社は成長する。

労働者は効率を改善するのか

はなから仕事をする気がない人間というのはここでは論外とする。しかし、会社の成長が自分の利益に直結するということが学習されると「自らが会社を成長させるんだ」と意気込む労働者は少なくない。彼らは会社や経営者を信じているし、自分たちの労働で会社が大きくなることを喜ぶ。会社を経営する側からすれば、こうした人間を積極的に採用したいし、それ以外の人間はできるだけ重要なポジションから排除したい。

つまり、経営者には労働者の自己効力感を養うことが求められる。自分たちの手で会社が成長している、そして自分の利益にもなっているんだ、という実感を労働者に与えること。

こうして初めて、労働者が経営の目を持ち始める。

*1:CDフローの改善なんて、世の中にある数パーセントのイケイケスタートアップだけがやっていることで、我々はそんなことをする必要がないんだぞ、と。